全てを許容し過ぎた故。
【⚠️お気持ち表明⚠️】
寒いですね。
我々同人作家の界隈で熱いのは生成AIを利用しているんじゃないか、または実際に利用している作家のコミックマーケットへの参入とその排除の如何についてです。
コミックマーケットの基本理念として
・コミックマーケットは同人誌を中心として全ての表現者を許容し継続することを目的とした表現の可能性を広げるための「場」である
・コミックマーケットはサークル参加者、一般参加者、スタッフ参加者、企業参加者など全ての参加者の相互協力によって運営される「場」であると自らを規定し、これを遵守する
・コミックマーケットは法令と最低限の運営ルールに違反しない限り、1人でも多くの表現者を受け入れることを目標とする
・コミックマーケットは、全ての参加者にとって「ハレの日」であることを願い、継続を最大の役割として行動する
というものを掲げています。
さて、これを読んでいるあなたはサークル参加者側ですか?一般参加者側ですか?どちらの立場であってもここからは客観的に考えてみてください。
今騒がれているのはただでさえ東ホールの約半分が改修工事によって使用ができずかなりの数のサークル参加数が削減を余儀なくされている現実。現に私も何年もサークルをやってきて前回より初めて落選の封書を貰いました。
その中でさえ、生成AIコンテンツが含まれたサークルが一定数のめり込んできているのが現実です。
イラスト本やマンガを書いている方、コミックマーケットで頒布できるほどのものを作るのには相当な時間練習と苦労を為されたでしょう。
文書きの方、市販の文庫本の如く文量を作り上げるまでその何千倍にもあたる本や文を読み相当の表現力と語彙力を養ったでしょう。
評論・写真集を作る方、撮影のための機材や本を作るための情報収集、お金や時間をとんてもなくかけてやっとお披露目するまでの情報を集めたたことでしょう。
全て作家たちの努力の結晶が表現であると考えます。
では逆に本来の表現とはなんでしょう、辞書を引いてみますか。
[名](スル)心理的、感情的、精神的などの内面的なものを、外面的、感性的形象として客観化すること。また、その客観的形象としての、表情・身振り・言語・記号・造形物など。「情感を
生憎、広辞苑を引越しの影響でしまい込んでしまい、すぐに出せないのでデジタル大辞泉先生のお世話になります。
まぁつまるところ、表現しようとする者の中身を映し出すものなんですね。
では、
生成AIによって機械的に生み出されたコンテンツは果たして表現と呼ぶに相応しいか、コミックマーケットの場に存在するに相応しいか。
如何ですか?
あくまで私はニュートラルな立場にいるつもりですが、世論としてはコミックマーケットに生成AIコンテンツがのめり込んでくることに好感を示している人は決して多数はでは無いと思います。
今はエコーチェンバーなんて言葉もありますから、世論だと思っていてもそうは限らないのが難しい世の中ですが。
自分の足や腕や時間やお金を使って作った評論や二次創作、一次創作が文章を打ち込んでお出しされただけのコンテンツに押し流されている現実が浮き彫りになった今だからこそこの議論は加熱しているのだと思います。
じゃあ生成AIを締め出せば良いのかといえば、世間はそれを許してはくれませんし、コミックマーケット準備会も易易とそうする訳には行きません。
当然、世間にはAI受容派の人間もあって、そういう人たちにとっては生成AIも表現のうちであって、実際に使う人もいる、こういう人にとってもコミックマーケットは「ハレの日」として存在してしまっているからですね。でも、こういった人達が流入してきたことによって押し退けられてしまったり、そもそも嫌悪を感じていて「ハレの日」ではなくなってしまった人もいる。
最大多数の最大幸福、と言うやつです。全体の幸福を最大化すべきだが、そこには少数の犠牲が伴うというものです。
ただ、50年前に始まったコミックマーケットは自分の腕で作り出す技能を持った人達が創造してきた文化的機会だと私は考えています。
そういった人達が排除され、自分の腕で作り出したと世間一般的には言われにくいような物を持ってサークル参加の場に出てきている方もいる現状に納得はいきません。
コミックマーケットはついに"参加者"同士が内ゲバを起こしてしまい遂に表現の機会や気力を喪失させてしまうよう、自分で自分の首を絞める結果に陥った訳です。
全てを許容し過ぎた故に。
深夜に書いたお気持ち表明の駄文です。
C106について
こんばんは。コミックマーケット C106 2日目 日曜日 東6ホール キ-16bにてサークル「Combat Sent」を展開していた梨と申します。
まずは、本日サークルにお越しいただいた方、本をお手に取って頂いた方、少しでも弊サークルにご興味を持っていただいた方、またサークル運営等お手伝いいただいた方、皆様本日は誠にありがとうございました。完売とまでは行きませんでしたが、個人的にはかなり上々な結果を収めることが出来、一重に皆様のおかげであると存じております。まずはこのような方々に御礼を申し上げるべきところですが、このような記事の発表になってしまい本当にすみません。
さて、本当は皆様が楽しかったコミックマーケットの直後に、このような記事を書くのは些か心外でありますが、私としても意見を表明せざるを得ないことがありましたので、このはてなブログを書かせていただいております。
事の経緯を説明致します。
開幕直後、1人目のお客様がお見えになりました。弊サークル頒布「軍用機コールサイン全集(頒布価格¥1,000-)」をお手に取っていただき、中身を見て頂きました。
一言目に「もう少しだね」という発言を頂戴致しました。
同人誌の性質上、また弊サークルが扱っている内容が万人受けするものではなく、お手に取っていただいた方のお眼鏡に適わないことが多々あることは百も承知している事です。
別にこの人が買わなかったからどう、手に取らなかったからどう、というつもりは一切合切ありません。
(そもそも、同人誌即売会に10回以上出展している身で、このようなことに一喜一憂しているほど野暮じゃありません。)
私が未だに承服できないのはこの後に続く指摘にもならない指摘紛いの行為です。
「横田基地のCV-22が載ってない。」
この時点で、正直私の頭では理解ができず、頭の中は?でいっぱいでした。
「DUSTDEVILSが載ってない、もう少し頑張らないとね、有名なんだからこれくらい載せてないとダメ、当たり前だよ。」
…
はっきり申し上げます。あなたの発言は論点違いであり、指摘以下の単なる言いがかりです。
DUSTDEVILSというのは、横田基地に配備された第353特殊作戦航空団第21特殊作戦飛行隊に対しての部隊ニックネームです。
横田基地配備のCV-22のコールサインはKNIFEで運用されており、当然本誌にも掲載しております、漏れなく。本指に掲載しているのは部隊名称ではなく、軍用機が交信の際に利用するコールサインです。
これに対し、尊大な態度で知ったかぶりをこいた上で論点が大きく外れた指摘をしたこと、今一度ご自身の行為を見つめ直すことをお勧めします。逆にここまでの内容の本を作っていて、そのような事すら理解していないと思ったのでしょうか、どちらにせよ結局のところパラパラページをめくっただけで、中身なんてろくに目を通されていないことと思います。私があの場所でそういうのは載せてないですね、分かりましたありがとうございますと言ったのは、他にお越しになった方の為と、他の人が楽しく過ごす場所を穢したくないためです。あなたの発言は一切受け入れていませんし、そのつもりも全くありません。
まず、単刀直入に申します。
今回の方、当サークルには今後一切、二度とお越しいただかなくて結構です。というか来ないでください。
同人誌即売会はあなたのように指摘とマウントに快感を感じている方の掃き溜めではありません。自分の"好き"や突き詰められるコトを表明し、それぞれの作品に共感し、目を向け、お金を払ってでも手にしたい人々の表現と共栄の場所です。
どうぞ、同人誌即売会以外の別の場所でやってください。
私は元々、年取ってるから偉いのかなんなのか、ふんぞり返っていかにも自分のその瞬間の頭の中だけが正解と思っているような人間が心の底から嫌いです。軍事関係の界隈にもこういう人間が蔓延っているのもまた、百も承知ですが…
私は的確な指摘に関しては、全てを甘んじて受け入れる所存ですし、全ての人にオープンなサークルでありたいと思っています。
しかし、こうした的外れな言いがかりを吐き捨てるだけ吐き捨てて気持ちよくなるような人間の相手はしたくありません。黙っているのもめちゃくちゃ癪なので今回このような形で表明させていただくことにしました。
楽しかったコミックマーケットの後に、このようなものを見せてしまい、本当にごめんなさい。
しかし、ガタガタ抜かす1人より、本を買ってくれた人と、サークルや私に関わってくれる多くの人々の方を私は大事にしたいです。
これからも、益々精進していくつもりです、どうか応援のほど、今後もよろしくお願いします。
暑い日の中のイベントでした、皆様ごゆっくりお休みになってください。それでは。
(拙い文書のお目汚しもすみません。)
戸山公園に行ってきました。
新年おめでとうございます。かなり久しい更新です。
Twitterに書くには長いし同人誌とかで認めるには内容が薄いのでブログに描きます。
1月4日、初詣のついでに都立戸山公園に行ってきました。
戸山公園に行った理由はただ一つ、陸軍戸山学校音楽隊として名を馳せた大日本帝国陸軍戸山学校跡を見るためです。
ENEOS早稲田SSより都道25号を外れて南下、国立感染症研究所方向に進みます。
都道25号から進んできて、左手に国立感染症研究所が見える十字路に達したら、右に進みます。

何も無いような裏道に見えますがそのまま突き進みましょう。(意外とタクシーや車が飛ばしてきます、車道を歩かずガードレール内の歩道を歩きましょう)
進んでいくと、じきに箱根山と書かれた看板が出てくるので、その方向に進みましょう。看板の方向に進んでいくとまず見えてくるのが陸具戸山学校屋外演奏場跡です。円形に組まれた鉄骨が目印です。

↑野外演奏場跡。しかしそれを物語るものは何も無い。
箱根山の看板から進んできて、演奏場跡に当たって右手の階段を上ると箱根山と陸軍戸山学校趾の石碑があります。

↑箱根山と陸軍戸山学校趾の碑。この地に陸軍戸山学校が存在したことを証明する唯一のもの。この右手には碑文が書かれているが日照や汚れによって読めなかった。
石碑から箱根山の方へ登っていくと、白い建物が見えてきます。元々GHQが使っていた建物を利用した戸山幼稚園です。戸山幼稚園の各所には福生市横田基地周辺などに現存する旧米軍住宅に似た面持ちが残っています。(私が行った時は年末年始で、人も居なかったですが現役の幼稚園と教会ですので平時にむやみに撮影されたり、彷徨くのは控えた方がよろしいかと思います。)
幼稚園の裏手を右に下っていくと段々と幼稚園の建物とは合わない半地下の石造りで作られた構造物が見えます。こちらが陸軍戸山学校将校集会所とされる建物です。換気扇ダクトなどが設置されており、こちらも現役で使用されていることがうかがえます。

↑黒い石造りの部分が戸山学校将校集会所部分。各所に今も使用されている形跡がみてとれる。

↑半地下部。途切れた階段と上下の異質さが元々は別の建物があったことを示す。
陸軍戸山学校のものと見られる石造りは幼稚園/教会の正門まで伸びており、今も活用されていることが伺えます、
戸山学校音楽隊は日本における軍楽総本山として、明治24年から終戦後の解隊、そこだけにとどまらず戦後のNHK交響楽団(N響)などに関係者が加わることによって日本の吹奏楽の発展に寄与してきたといっても過言でない存在であり、筆者も吹奏楽をやっていた故にいつかこの地を訪ねたいとかねてから思っていたところ、こうして目にすることが出来て本当に良かったと思います。
(注意:戸山学校趾や周辺は団地など地域の人々の生活する場所です。むやみな撮影や地域の方に迷惑をかけるような訪れ方はやめましょう。)
オタカーライフ~vol.1~
ご覧頂きありがとうございます。オタクのカーライフブログです。
さて、今回はNHP10 トヨタアクアのバッテリー救援&交換について書こうと思います。
お客様からお電話があり、アクアのエンジンがかからないとの事。この時点でエンジン始動に係る補機バッテリー上がりを想定してバッテリー上がり救援の装備を持ってお客様のお宅まで向かいました。
お宅に到着し、お車を確認すると
・ブレーキペダルが踏み込めず、エンジンが始動できない
・ハザード等電装品が稼働しない
・ハンドルロックが掛かっている
以上の点から補機バッテリー上がりと断定します。
すぐにお車を使いたいとの事でしたので、兎に角まずはバッテリーのジャンプスタートによる救援を試みます。
詳細は割愛しますが後部座席下部に大型の駆動用バッテリーの隣に12V 鉛蓄電池の補機バッテリーがあります。
トヨタアクアは駆動用バッテリー(200Vちょっと)と補機バッテリー(12V)の2つのバッテリーを搭載しており、駆動用バッテリーはモーターを駆動させるための大型バッテリーであり、補機バッテリーはエンジンの始動や電装品に電気を送ったりする役割を果たしています。
ハイブリットシステムは制御装置によって制御されており、その制御装置は補機バッテリーからの電気で稼働します。補機バッテリーが上がってしまい、電気が送られなくなると制御装置が稼働せず、そもそもハイブリットシステムの制御ができないためにエンジンが掛からなくなります。そのため、たとえ駆動用バッテリーに残りがあっても補機バッテリーが上がっていては車が走らないどころかキーレスによる解錠すら出来なくなってしまいます。
ひとまず、補機バッテリーにスターターを接続し、エンジンを始動します。無事にエンジンが始動し、この場では救援が終了しました。
数十分後、再びお客様から電話があり、やはりエンジンがかからないとの事。この短周期でバッテリー上がりを起こすことと夏であることを加味して考えればバッテリーはかなり劣化していると感じました。
代車にてお客様の元に向かい、同じ手順でアクアを救援、このまま弊社入庫となりました。
さて、実は12V鉛蓄電池というのは普通の乗用車と同じバッテリーなのですが違うバッテリーなのです。
言っていることがよく分からないかと思いますが、ハイブリット車にはハイブリット車専用のバッテリーが存在しており、基本的にガソリンエンジン乗用車用のバッテリーは使用できません。(救援は可能です。)
YUASA製の専用のバッテリーを卸してもらい、交換作業に入ります。
補機バッテリーの隣に200Vの駆動用バッテリーがあり、もし通電すれば私は電気焼きになってしまうので注意して作業に掛かります。
一般の方が交換すると重大事故に繋がる場合があるのでここでも詳細は明記しませんが、入り組んだ場所にある補機バッテリーを露出させ、工程通りに交換作業を行います。
作業時間凡そ30分。新しいバッテリーを取り付け、交換終了です。
通常のバッテリーの寿命3~4年ほどはまた、安定して乗れるかと思います。
お客様も喜んでお帰りになっていただきました。
これにて全工程終了です
ありがとうございました。
※本記事に関係する作業を自身で行なった際の事故・傷害について当方は一切の責任を負いかねます。
自動車の点検整備はお近くの自動車整備工場までご用命下さい。
横須賀で見られる海軍の支援船艇~vol.2~
いやいや、どうもどうも。Vol.1の配信から長らくお待たせしております。毎度おなじみ(?)梨と申します。よろしくお願いします。タイトル通り、本シリーズでは横須賀港・横須賀海軍基地にて見ることが出来る支援船艇、所謂戦わずに港内での業務に従事する船について船種毎に分けてざっと解説しています。既にVol.1は配信済みですのでまだ見てないよー、そっちも見てみたいよーって人は当ブログの記事一覧の下の方に同じタイトルで投稿してあるので合わせてご覧頂けたら幸いです。
早速ですが本題に入ろうかと。さて、前回のVol.1でも告知しました通り今回はアメリカ海軍のAPL-40「Nueces」(以下Nueces)についてざっと解説しようと思います。

↑横須賀海軍基地4番ドライドック扉船前に補修中の艦船の支援のために停泊するAPL-40
APL-40左舷側のグレーの艀はYWN-82という非自走水船。
本来この船はAPB-35 classとして古くから数十隻が建造されていました。また、不活性化などを繰り返し、上部構造物の改装や任務・種別を経てアメリカ本土などでも数多くのAPB-35 classが今も活躍しています。
その中でも今回は横須賀海軍基地にいるAPL-40(APB-40/IX-503)Nuecesについて、その激動の歴史を振り返ってみたいと思います。
Nuecesの歴史は古く時代は混迷を極めた第二次世界大戦・太平洋戦争まで遡ります。連合軍がドイツ・ニュルンベルクを空爆した1945年1月2日、Nuecesは「APB-40」という船種記号を与えられ、ボストン海軍工廠にて起工します。
この時のNuecesは現在と違い、最前部と最後部にボフォース製40mm4連装機関砲を一基ずつ装備し、火力を有していました。
APBとは動力を保有する自走可能な宿泊艦のことを指します。この船種記号と意味を覚えておいてください。現在のNuecesと昔のNuecesの大きな違いのひとつになるので。
その年の3月6日、ドロシー・E・ダンネル夫人によって進水され、11月30日に就役、レオナルド・I・バーコウィッツ中尉が指揮を執ることになりました。
この後、Nuecesはフロリダ州クレイ郡グリーンコーブスプリングにて予備役兵に対して宿舎を提供することになりました。
しかし1946年3月、Nuecesは1度予備役に編入されることに。そして1955年9月30日に退役、1度その艦歴にピリオドを打ちます。
すると今度は時代は移ろいベトナム戦争。ベトナムのメコンデルタという地域の水路を抑え使用不可にし、南ベトナム解放民族戦線の活動を弱らせようという作戦の最中、Nuecesは1968年5月3日、アメリカ海軍に再就役することに。機動河川部隊Task Force117に所属する河川警戒飛行隊に対して移動基地機能を、また第9歩兵師団歩兵大隊に対して指揮船の機能を提供するためのものでした。
Nuecesは太平洋を渡り、ブンタウという港湾都市に到着した後に川を遡上し目的通り第9歩兵師団第2大隊の歩兵とTask Force117の河川舟艇などによって作られた機動河川部隊を支援しました。
この任務は1970年頃まで続き、Nuecesは南ベトナムにおいて活動しました。
この時点で就役当時から改装され構造物最上甲板にヘリポートやマスト、多数のホイップアンテナを装備し、また塗装もかなり濃いオリーブドラブに塗り改められ活躍しました。また、河川を移動し警戒するためのボートを多数横付けすることによって燃料などの補給なども行えたと見られます。
ベトナム戦争後、船体をアメリカ海軍のライトグレーに塗り替えられ機関砲を撤去されNuecesは再び不活性化しました。サンディエゴ海軍基地に係留されその船種記号を補助艀という曖昧な種別名を与えられ、IX-503と改められました。
IXとは未分類であるその他の雑務艦とされ、一時期は歴史的なアメリカ海軍の帆走フリゲート、コンスティチューションにも割り当てられていた記号です。横須賀にもIX-549という油水不明の廃液関係の艀が所属しています。
Nuecesは上部構造物の改装を経て船体はグレー、構造物はホワイトに塗られほぼ現在と同じ形になり1995年、神奈川県横須賀市にある海軍艦船修理施設に回航されました。
4~5年ほどNuecesはIX-503として横須賀で過ごし、この間に最上甲板に新たに居住スペースが設置され船種記号も現在と同じであるAPL-40に再び改められ、 完全に今と同じ姿になります。
そしてついに2005年、Nuecesは横須賀の乾ドックにて舵を残して2基のプロペラとエンジン、シャフト撤去され正規の形態のAPL-40へと生まれ変わりました。
APLというのは動力を持たない非自走の宿泊艦という意味で先述で覚えておいてと言ったAPBとの最大の違いはここにあります。動力の有無なのです。APB時代は太平洋さえ渡った船は現在のAPLとなってからタグボートなどのプッシャーボートの力によって港内を移動しているのです。
そしてNuecesは現在に至るまで横須賀の海に浮いて、補修中の艦の乗組員が暮らし、食事し、体を動かす生活場所として活躍しているのです。
また1つ古いAPL-39(APB-39/IX-502)Mercerも同じ姿で佐世保を本拠に活動しています。
最近では日焼けによる塗装落ちが進み、グレーだった船体はピンク色を呈しており、「U.S.NAVY APL40」の文字も辛うじて読めるようになっております。
さて、Nuecesの歴史はいかがだったでしょうか。2つの戦争を跨ぎ、悠久の時を越え現代までその任務を果たす船もちゃんと歴史を知ると今まではただの宿泊艦程度に見えていた船もより壮観さが増すかと思います。今回はかなり重い記事になってしまい、暇潰しに読めるというような内容ではなくなってしまいました。それでもこの歴戦の老兵を語らずに他の支援船艇を語ることはままならないと思い、今回は長文ながらもAPL-40 Nuecesについてまとめさせていただきました。
次回の記事ではYCVについて、纏めてみたいと考えていますのでご期待ください。
それではここまで、梨がお送りしました。お読み頂きありがとうございました。
2022年4月7日 追記
編集含めて超久々の更新になります。
Nuecesは今年に入って横須賀海軍基地に配置されたAPL-67に後継され、Nuecesは77年の長きに渡る艦歴に幕を下ろしたと思われます。
2020年11月8日の横須賀行
〜つらつらと、勢いの、吐き溜め〜
クソッタレ。
ようやく調子に乗ってきたと思った。ペンがスケート選手のように紙面を滑った。こうやって本格的に書こうとしたのは何時ぶりだろう、1年振り近いのじゃないのだろうか。時間も有り余っているし自分の腕試しだと思ってなおもペンを滑らせる。書き重ねるうちに曖昧で、希薄だった線が段々と濃く、しっかりとその存在を主張してくる。毛の1本、輪郭の1本に渡る隅々まで線に命を吹き込んでいく。イラストとは絵に命を吹き込むんじゃない、線の1本1本に命を吹き込むものだと私は考えている。全ての線が生きて初めて絵が生きる。
そんな考えも既に崩れ去った。たかだか美大"志望"の奴にガミガミと言われる。彼はいわゆる取らぬ狸の皮算用と言うやつだろう。自分が既に受かっている幻覚に陥っているのだ。Twitterでも申し上げたが仕事と遊びのベクトルは違う。たとえ中身が同じだろうと。例えば入学試験の国語の問題文を読むのと普通に読書するのとは物語や説明文を読んでいることに変わりはないが終着点が違う。それをやれ自分の価値観を押し付けふんぞり返ってやんやと言われるのは癪でしかない。実際のところ今まで耐えてきたが仏の顔もなんとやら、私は3度以上耐えているが。
まぁ、もう私も懲り懲りだ。やるだけ鬱な気分が湧き出して意欲も全て奪ってしまう。
絵はしばらく、まぁ数十年単位で書きたくない。