戸山公園に行ってきました。

新年おめでとうございます。かなり久しい更新です。

Twitterに書くには長いし同人誌とかで認めるには内容が薄いのでブログに描きます。

1月4日、初詣のついでに都立戸山公園に行ってきました。

戸山公園に行った理由はただ一つ、陸軍戸山学校音楽隊として名を馳せた大日本帝国陸軍戸山学校跡を見るためです。

ENEOS早稲田SSより都道25号を外れて南下、国立感染症研究所方向に進みます。

この国立感染症研究所陸軍軍医学校跡に設置されています。

都道25号から進んできて、左手に国立感染症研究所が見える十字路に達したら、右に進みます。

↑十字路、箱根山方向から見える国立感染症研究所

何も無いような裏道に見えますがそのまま突き進みましょう。(意外とタクシーや車が飛ばしてきます、車道を歩かずガードレール内の歩道を歩きましょう)

 

進んでいくと、じきに箱根山と書かれた看板が出てくるので、その方向に進みましょう。看板の方向に進んでいくとまず見えてくるのが陸具戸山学校屋外演奏場跡です。円形に組まれた鉄骨が目印です。

↑野外演奏場跡。しかしそれを物語るものは何も無い。

箱根山の看板から進んできて、演奏場跡に当たって右手の階段を上ると箱根山陸軍戸山学校趾の石碑があります。

箱根山陸軍戸山学校趾の碑。この地に陸軍戸山学校が存在したことを証明する唯一のもの。この右手には碑文が書かれているが日照や汚れによって読めなかった。

石碑から箱根山の方へ登っていくと、白い建物が見えてきます。元々GHQが使っていた建物を利用した戸山幼稚園です。戸山幼稚園の各所には福生市横田基地周辺などに現存する旧米軍住宅に似た面持ちが残っています。(私が行った時は年末年始で、人も居なかったですが現役の幼稚園と教会ですので平時にむやみに撮影されたり、彷徨くのは控えた方がよろしいかと思います。)

幼稚園の裏手を右に下っていくと段々と幼稚園の建物とは合わない半地下の石造りで作られた構造物が見えます。こちらが陸軍戸山学校将校集会所とされる建物です。換気扇ダクトなどが設置されており、こちらも現役で使用されていることがうかがえます。

↑黒い石造りの部分が戸山学校将校集会所部分。各所に今も使用されている形跡がみてとれる。

↑半地下部。途切れた階段と上下の異質さが元々は別の建物があったことを示す。

陸軍戸山学校のものと見られる石造りは幼稚園/教会の正門まで伸びており、今も活用されていることが伺えます、

 

戸山学校音楽隊は日本における軍楽総本山として、明治24年から終戦後の解隊、そこだけにとどまらず戦後のNHK交響楽団(N響)などに関係者が加わることによって日本の吹奏楽の発展に寄与してきたといっても過言でない存在であり、筆者も吹奏楽をやっていた故にいつかこの地を訪ねたいとかねてから思っていたところ、こうして目にすることが出来て本当に良かったと思います。

(注意:戸山学校趾や周辺は団地など地域の人々の生活する場所です。むやみな撮影や地域の方に迷惑をかけるような訪れ方はやめましょう。)