横須賀で見られる海軍の支援船艇~vol.2~

いやいや、どうもどうも。Vol.1の配信から長らくお待たせしております。毎度おなじみ(?)梨と申します。よろしくお願いします。タイトル通り、本シリーズでは横須賀港・横須賀海軍基地にて見ることが出来る支援船艇、所謂戦わずに港内での業務に従事する船について船種毎に分けてざっと解説しています。既にVol.1は配信済みですのでまだ見てないよー、そっちも見てみたいよーって人は当ブログの記事一覧の下の方に同じタイトルで投稿してあるので合わせてご覧頂けたら幸いです。


早速ですが本題に入ろうかと。さて、前回のVol.1でも告知しました通り今回はアメリカ海軍のAPL-40「Nueces」(以下Nueces)についてざっと解説しようと思います。

f:id:Nashi501jfw:20201109021309j:plain

↑横須賀海軍基地4番ドライドック扉船前に補修中の艦船の支援のために停泊するAPL-40

APL-40左舷側のグレーの艀はYWN-82という非自走水船


本来この船はAPB-35 classとして古くから数十隻が建造されていました。また、不活性化などを繰り返し、上部構造物の改装や任務・種別を経てアメリカ本土などでも数多くのAPB-35 classが今も活躍しています。


その中でも今回は横須賀海軍基地にいるAPL-40(APB-40/IX-503)Nuecesについて、その激動の歴史を振り返ってみたいと思います。


Nuecesの歴史は古く時代は混迷を極めた第二次世界大戦・太平洋戦争まで遡ります。連合軍がドイツ・ニュルンベルク空爆した1945年1月2日、Nuecesは「APB-40」という船種記号を与えられ、ボストン海軍工廠にて起工します。

この時のNuecesは現在と違い、最前部と最後部にボフォース製40mm4連装機関砲を一基ずつ装備し、火力を有していました。

APBとは動力を保有する自走可能な宿泊艦のことを指します。この船種記号と意味を覚えておいてください。現在のNuecesと昔のNuecesの大きな違いのひとつになるので。


その年の3月6日、ドロシー・E・ダンネル夫人によって進水され、11月30日に就役、レオナルド・I・バーコウィッツ中尉が指揮を執ることになりました。

この後、Nuecesはフロリダ州クレイ郡グリーンコーブスプリングにて予備役兵に対して宿舎を提供することになりました。


しかし1946年3月、Nuecesは1度予備役に編入されることに。そして1955年9月30日に退役、1度その艦歴にピリオドを打ちます。


すると今度は時代は移ろいベトナム戦争ベトナムメコンデルタという地域の水路を抑え使用不可にし、南ベトナム解放民族戦線の活動を弱らせようという作戦の最中、Nuecesは1968年5月3日、アメリカ海軍に再就役することに。機動河川部隊Task Force117に所属する河川警戒飛行隊に対して移動基地機能を、また第9歩兵師団歩兵大隊に対して指揮船の機能を提供するためのものでした。


Nuecesは太平洋を渡り、ブンタウという港湾都市に到着した後に川を遡上し目的通り第9歩兵師団第2大隊の歩兵とTask Force117の河川舟艇などによって作られた機動河川部隊を支援しました。

この任務は1970年頃まで続き、Nuecesは南ベトナムにおいて活動しました。


この時点で就役当時から改装され構造物最上甲板にヘリポートやマスト、多数のホイップアンテナを装備し、また塗装もかなり濃いオリーブドラブに塗り改められ活躍しました。また、河川を移動し警戒するためのボートを多数横付けすることによって燃料などの補給なども行えたと見られます。


ベトナム戦争後、船体をアメリカ海軍のライトグレーに塗り替えられ機関砲を撤去されNuecesは再び不活性化しました。サンディエゴ海軍基地に係留されその船種記号を補助艀という曖昧な種別名を与えられ、IX-503と改められました。

IXとは未分類であるその他の雑務艦とされ、一時期は歴史的なアメリカ海軍の帆走フリゲート、コンスティチューションにも割り当てられていた記号です。横須賀にもIX-549という油水不明の廃液関係の艀が所属しています。


Nuecesは上部構造物の改装を経て船体はグレー、構造物はホワイトに塗られほぼ現在と同じ形になり1995年、神奈川県横須賀市にある海軍艦船修理施設に回航されました。

4~5年ほどNuecesはIX-503として横須賀で過ごし、この間に最上甲板に新たに居住スペースが設置され船種記号も現在と同じであるAPL-40に再び改められ、 完全に今と同じ姿になります。


そしてついに2005年、Nuecesは横須賀の乾ドックにて舵を残して2基のプロペラとエンジン、シャフト撤去され正規の形態のAPL-40へと生まれ変わりました。

APLというのは動力を持たない非自走の宿泊艦という意味で先述で覚えておいてと言ったAPBとの最大の違いはここにあります。動力の有無なのです。APB時代は太平洋さえ渡った船は現在のAPLとなってからタグボートなどのプッシャーボートの力によって港内を移動しているのです。


そしてNuecesは現在に至るまで横須賀の海に浮いて、補修中の艦の乗組員が暮らし、食事し、体を動かす生活場所として活躍しているのです。


また1つ古いAPL-39(APB-39/IX-502)Mercerも同じ姿で佐世保を本拠に活動しています。


最近では日焼けによる塗装落ちが進み、グレーだった船体はピンク色を呈しており、「U.S.NAVY APL40」の文字も辛うじて読めるようになっております。


さて、Nuecesの歴史はいかがだったでしょうか。2つの戦争を跨ぎ、悠久の時を越え現代までその任務を果たす船もちゃんと歴史を知ると今まではただの宿泊艦程度に見えていた船もより壮観さが増すかと思います。今回はかなり重い記事になってしまい、暇潰しに読めるというような内容ではなくなってしまいました。それでもこの歴戦の老兵を語らずに他の支援船艇を語ることはままならないと思い、今回は長文ながらもAPL-40 Nuecesについてまとめさせていただきました。


次回の記事ではYCVについて、纏めてみたいと考えていますのでご期待ください。

それではここまで、梨がお送りしました。お読み頂きありがとうございました。


2022年4月7日 追記

編集含めて超久々の更新になります。

Nuecesは今年に入って横須賀海軍基地に配置されたAPL-67に後継され、Nuecesは77年の長きに渡る艦歴に幕を下ろしたと思われます。